米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第149回)

五、激烈なる排日熱

ぼくの記憶がしっかりしていて確かならば、かつて在シドニー日本総領事の齋藤氏は、休暇で帰国する途中、オーストラリアにおける排日思想の傾向について、すこぶる楽観的な説を述べられていたようである。しかし、それは政府の立場から概括的に、つまり、全オーストラリアとして見た場合の抽象的な所感のようである。

「王侯は山河を見、田舎者は畑の生育具合を見る」である。

二十日あまりのフリーマントル停泊中に、親しく在西オーストラリアの労働者から聞いた当地の日本人に対する感情は、さすがにいろいろ考えさせられるものであり、得るところも多かった。 続きを読む

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第148回)

三、プリンセス劇場

西オーストラリア新聞社の主催によるキングス劇場(シアター)観覧の招待を受けたのは、一昨夜(おととい)のことである。その享楽の色美しい印象の消えぬ今宵(こよい)、またもやプリンセス劇場(シアター)から、独唱(ソロ)と歌劇(オペラ)と器楽(オーケストラ)と茶番とのプログラムを並べての招待を受けた。

バイオリン、チェロ、ギター、クラリネット等の管弦の響きが、心地よい享楽の感興を人々の胸に残して、そのととのったリズムの音波は、なめらかに湾曲したドーム型の天井の奥に消える。

中入りである。

巧みに十七、八の「ボニ・レシー」に化(ば)けおおせた四十女の化粧の技巧(たくみ)さや、うす絹を透(すか)して大潮の寄せるがごとく胸郭(むね)を波打たせながら、錐(きり)のごとく鋭い声で何やらを歌った独唱女(ソロイスト)のことなどを思いめぐらせていると、突然、耳にニワトリの声が聞こえた。

オヤと、ちょっとキツネにつままれたような気持ちになる。

続いて、またも二声(ふたこえ)三声(みこえ)……。驚きと、晴れがましさと、欣(よろこ)びとを表しているニワトリの声が……。 続きを読む

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第147回)

フリーマントル
一、暖かき泊地の灯

八月二日の深更当直(ミッドナイト・ウォッチ)に立った三十人の船乗りの心は、ただもう、らちもなくはしゃぎきって、晴れやかな軽い、喜ばしい情緒は、穏やかに伸びた眉のあたりにはっきり示されている。

寒い、辛い九十日の大航海の後、安らかな泊地に入るという嬉しい期待は、人々が描いている美しい想像をさらに美しく描く。

煌々(こうこう)と眉に焦げつくように、右舷(うげん)船首(バウ)近くで光っているロットネス島の灯台を見ては、喜びの情は目にも輝き、静かなる湾内の水を染めては、かのなつかしい、豊かな、暖かい港の灯(ひ)が、紅(あか)く、青く、紫(むらさき)に映(うつ)りあう様(さま)を見ては、思わず、

妖女(ようじょ)の叫喚(さけび)ものすごき!
「カボ・トーメント*」の冬の夜(よ)や!!
災禍(まがつみ)の雨よ、怪異(ふしぎ)の霧!
自然の暴威(あらび)、世にも怖(おそ)ろし!
四季の色なす花の雲、
匂(にお)うは甘き潮(しお)の香(か)よ、
舟歌のせて我が船は、
今日の泊(と)まりに急ぐなる。
藻(も)の花しづく、華(はな)やかに、
荒(すさ)みし心、ひきたつる、
紅(あか)き暖かき、泊(と)まりの灯(ひ)、
アルハンブラの夜(よ)はふくる。

* カボ・トーメント  アフリカ大陸・喜望峰の旧称(「暴風の岬」)

と口ずさむ……。静かに、嬉しき胸を抱(いだ)いて。 続きを読む

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第146回)

級友二人を失う

六月二十日。海洋(うみ)の雄大な美は、依然として、その色彩を増し、船の動揺(ローリング)は依然としてその鋭い矛(ほこ)を収(おさ)めないが、うららかな太陽がのどかな南インド洋の雲に映って、久しぶりに心の平安と身体に倦怠(けんたい)とを覚えるような、好日和(こうひより)である。

悲しい雨に泣き、むごい風に痛めつけられながら、恐るべき猟犬の噛みつき食いちぎろうとする歯から逃れた雌鹿(めじか)のように、身を戦慄(ふる)わせて南大西洋のシケから逃れ出た練習船は、静かに、濡(ぬ)れしおれた黒い帆を、穏やかな光線(ひ)に乾かしながら、受けた創痍(きず)を、安らかなる南インド洋の懐(ふところ)に養っている。

この一月半(ひとつきはん)の惨憺(さんたん)たる航海を回想すれば、そぞろに身震(みぶる)いするような畏怖(いふ)の念が全身に行き渡るのを感じる。

雄大なる自然の侵略に対する人間の悪戦苦闘の活演劇! 一月(ひとつき)にわたって光線(ひ)を見なかった苦しい航海! 一週間にわたって艙口(ハッチ)をずっと閉鎖していた辛(つら)い航海! 雨として海洋(うみ)に下るべき使命を授かった水のしずくが、途中で理不尽(りふじん)にも雪となり、みぞれとなり、あられとなって、甲板上を白く冷たくおおった寒い航海。憂(う)きことのなおこの上に積もれかし*などと、こたつで寝そべりながら気楽な戯言(ざれごと)をほざいた先人ののんきさをのろいたくなる現実の、その苦しさ! そのつらさ!! その寒さ!!

* 「憂きことのなおこの上に積(つも)れかし 限りある身の力試(ため)さん」は、江戸時代の陽明学者、熊沢蕃山(1619年~1691年)の歌とされる。
「つらいことがさらに多くこの身にふりかかってこい、命に限りがある身ではあるが、自分の力をためしてみよう」というほどの意味。
蕃山は陽明学者・中江藤樹に師事し、十代で岡山藩に出仕。治山治水や藩政改革を進めて重用されたが、守旧派に追い出され、私塾を開いた京都でも、その影響を懸念した京都所司代に追放された。その後、江戸幕府から出仕を乞(こ)われたが拒否し、幕政改革案を上申したりしたため、北関東の古河藩に幽閉され、その地で没した。

かくして、あくまでも傷ついた船に、こうしてあくまでも疲れたる船に、悪魔の黒い手は無残にもその侵略を始めた。 続きを読む

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第145回)

喜望峰付近の天候

一四八六年にポルトガル人のバースロミュー・ディアズによって発見された喜望峰は、はじめはカボ・トーメント(暴風の岬)と命名されたが、暴風(あらし)の岬では縁起が悪い、ぜひとも喜び望む岬に改正(なお)せなどと、王侯の権威をもって、命がけの実験からえた船乗りの尊い印象を踏みつぶし、くだらない字句の改正を施したポルトガル王ジョン*の剛毅(ごうき)をもってしても、ついにその実質はこれを征服することができなかった。

* ポルトガル王ジョアン二世(1455年~1495年)。アフリカ西岸の開拓を行ったエンリケ航海王子(1394年~1460年)の事業を継承した。

そして、今でも、喜望峰と聞けば、驚くべき険悪の強い偏西風が連続して吹き続くところ、肝をつぶすような大きな三角波が立ち騒ぐところとして、世界の海洋でも最大級の難所という先入観を与えるに至ったのは、ジョン王にとっては小気味(こぎみ)よくもあり、喜望峰にとっては気の毒でもあり、船乗りにとってはおかしくもある。

この恐ろしい喜望峰は、南緯三十四度二十二分、東経十八度三十二分、例のテーブルマウンテンを頭部(かしら)に、十二使徒峰(アポストル)を脊髄骨(せきずいこつ)にしたケープ半島が南へ南へと伸びたその突端(さき)に位置している。で、この喜望峰を境界(さかい)として、今まで南に向かっていた南アフリカの西の海岸線は急に東に向かうのは事実であるが、本当のアフリカ大陸の南端は、喜望峰ではなくて、例のアガラス岬というやつである。

すべて、地理的な関係から、岬や鼻や半島などが遠く海洋(うみ)に突き出したところは、風浪が概して険悪のようである。 続きを読む

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第144回)

スコールと虹

「おい! スコールは、たしか前後に二本の足を持っている、とかいったっけな?」
「うん、いわゆる佐々木氏の説によれば……だ。そうして、後足の方がことに猛烈だそうだ。気まぐれなやつになると、三本も四本もあるとさ」
「へえ! その中央(まんなか)のやつは短いだろう」
「ウフッ……。だれだ、そんな馬鹿なことをいって茶化すやつは……? しかし、足はね、例の黒雲のブラック・スコールに限るらしい」
「それで、今、通過したやつはその前足かな」
「そうだろう……まあ、ちょっと露払(つゆはら)いといった格だね。今に本隊がやってくるよ」
「しかし、それならもう来そうなものだぜ。例の音沙汰(おとさた)もないが、ちょっと他(よそ)へそれたかな」
「ぼくはこう思うね。こいつはきっと、いろんなのがあるんだよ。スコールの変異株だね。かわいそうに後足は自由がきかないのかもしらん」
「……そうすると、スコール仲間の大隈さんか*……アハハハ……道理で鼻息が荒いと思った……」
「そいつはよかった……ハアアッ……」
「ハアアッ……」

* 大隈さん  東京専門学校(後の早稲田大学)を創設し、総理大臣も務めた大隈重信(1838年~1922年)。
外務大臣時代に条約改正をめぐって反対派に爆弾で襲撃され、右大腿骨から下を失った。

たった今、マストもヤードも飛んでいきそうな凶暴なスコールが来たばかりで、それっとばかりに、上(アッパー)トップスルを下ろし、ステイスル*をたたんで、緊張していた胸も興奮した頭も、まだ十分に落ち着いていない五、六人の若い船乗りが、一番のストーン・ポンプの周囲(まわり)に集(たか)って、罪のない話に花を咲かせている。

* ステイはマストを支えるために張られたロープ/ワイヤー(支索)で、それに取りつけた帆をステイスルという。スルはセイル。

連日のシケのおかげで、今日もまた事業学習は中止である。彼らの心情としては、シケでもかまわん、恐ろしくてもかまわん、ただ事業と学習が休みになって、グッスリと熟睡ができて、くだらない馬鹿ッ話ができれば不平はないであろう。スコールの絶対的価値というものは、彼らのように向こう見ずの連中も大いに尊重していると見えて、彼らの一人が記録しているこの頃の日記には、次のように書いてある。 続きを読む

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第143回)

恐ろしき一夜

連日の大シケで、空はもとより暗く、海はもとより荒れている。強い風にむち打たれ、荒れた海に蹴(け)られて、船は牝牛(めうし)のように泣きながら、夜となく昼となく、ひたすらに東へ東へと走っている。

「喜望峰通過、全員無事」の報告を無線電信で学校に知らせたのは、十七日の深夜であった。

喜望峰から三百マイルの沖を無事に通過した十七日は、風浪(ふうろう)によって示される最も偉大な活力による現象の、呪(のろ)われた対照的な物として、練習船は、最も貴重で最も堅牢(けんろう)な四枚の帆を、あわれなる犠牲(いけにえ)として風の神の御前(ごぜん)に献上(けんじょう)した。

十九日になると、風はその横暴の極に達し、呼吸(いぶき)するごとに、例の薄気味悪い烈風(ガスト)を送るようになった。

そして海はこれまで体験したことのない大シケとなり、犬歯(けんし)のようにかみ合う三角波の間を、見るだけで肝をつぶすような大きなうねりが、むんずとばかり横ざまに押しつぶすようにぶつかってきて、舵もほとんどきかない。こんな状態なので、波を鎮(しず)めようと機械油が船内の四カ所から流され*、舵手は四人に増加され、救命索(きゅうめいさく)が張られ、すべての艙口(はっち)は閉鎖され、帆は前帆一枚のみとし、ブレイス**には「増しがけ」をかけた。

* 油を流す  帆船の航海記を読んでいると、嵐で波を鎮めるために油を流すという表現がよく出てくる。これは、紀元前のギリシャから、大航海時代をへて、蒸気船の時代になっても、実際に行われていた。
タコを飛ばして雷の実験をしたフランクリンも、渡英したときにイギリスの湖で油による波の鎮静効果の実験を行っている。
油は水より軽く表層に薄い膜となって広がっていくため、物理的には波の「減衰効果がある」とされる。風が吹くと波が立つが、その主因は摩擦なので、油が摩擦を減らして風はそのまま滑り過ぎていくので波が小さくなるのだとか……
(どうにも信じられないので、このページの最後に、ハーバードの先生が実験をした動画(英語)を掲載しておきます。信じる信じないは、その人しだいということで……)

* ブレイス  帆船の横帆を展開する帆桁(ヤード)の角度を調節するロープ。増しがけは、固定するロープを増やして頑丈にすること。
ちなみに、縦帆は現代のヨットのように、縦方向のマストやワイヤーに取りつけた帆、横帆は江戸時代の千石船のように、水平方向の棒から下に垂らす形の帆。

こうして潜航艇のように防御態勢を備えた後、さて舷外(げんがい)は……と望めば、なんとも言えず心細い状況になっている。 続きを読む

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夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第142回)

大シケに苦しめられる

ものすごく黒ずんだ、威嚇(いかく)するような空。むやみにさわぎ、シケる、かんしゃく持ちの海洋(うみ)。冷たい雨に、寒い風。連続した不快な印象だけを南大西洋から受けた練習船は、六月十日になって、ドサッと最後に圧倒的な大シケをくらった。

この、音に聞こえた喜望峰沖でのシケについての物語は、六月十三日に始まった。

海は、昨夜から根気(こんき)よく荒れに荒れて、今は必死の勢いで力のかぎり、根のかぎりに荒れている。晴雨計(バロメーター)は行きどまりなどないかのように、一時間に〇・〇五くらいずつ、ズンズン下がっていく。

しかし、船はシケに対する可能な限りの、あらゆる用意について、手がつくせるだけのことはすでにつくしていた。

これからさらに、いかに海が荒れようが、いかに晴雨計(バロメーター)が威嚇(おど)かそうが、いかに風が強くなってウミツバメ(ストームペトレル)が飛びまわろうが、仕方がない。どうとも勝手にしろと度胸を決めたら、気持ちは案外に落ち着いてきた。

うぬぼれではないが、これでも、この二年間というもの、南に北に、赤道直下や南極海域において、長い波、巨大な波、高い波、いろいろなおそろしい波を矢つぎばやにくらってきた船の兄さんである。少しくらいの波で驚くことはない。

この勇ましい兄さんをいやというほど驚かし、たまげさせた喜望峰の波は、さすがにものすごい。 続きを読む

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夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第141回)

総員、上へ

強い北西の順風を受け、図に乗って走った練習船は、五月八日ごろから左まわりにグルリと向きを変えて南東に偏向した東方からの疾風(ゲール)のため、その船首を北へ北へと折って、ついに東北東にまで達したので、九日には「下手(したて)まわし」を行って針路を南南西とした*。

* 下手まわし(ウェアリング wearing)  帆船で風下に向かいながら風を受ける舷を左右逆にすること。
 帆船は風の吹いてくる方向に直接向かうことはできないので、風上に向かう場合、風を受ける舷を左右交互に変えながらジグザグに帆走することになる。
 風上への帆走性能が高い船(快速のクリッパー船や現代のヨット)は上手(うわて)まわし(タッキング)を行うが、あまり風上にのぼれない船では、いったん風下に向かって帆の展開を左右逆にしてから少しずつ風上へ向かう。ヨットでは、この操作はジャイブ/ジャイビングと呼ばれる。

黒装束に覆面(ふくめん)をした男がニュッと暗黒(やみ)のうちに入ってくる。夢であるか幻(うつつ)であるか……それは知らぬ。

ただ意識の眼だけは大きく開いている。音もなくスラスラと寄ってきたと思ったら……覆面(ふくめん)のあやしい男は、何の容赦(ようしゃ)もなくぼくの上に馬乗りになる。

すわとばかり眼を覚まして身構えする鼻先に、毛むくじゃらで太い一番大工(カーペン)の手が見える。よく見ると、ぼくの寝床(ボンク)に横ざまにおおいかぶさるようにして、雨ガッパに雨よけの帽子という格好のあやしい男が、一生懸命、船窓(スカットル)に窓のおおい(ブラインダー)をかけている。

まだ夜中の二時らしい。五月十九日である。 続きを読む

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第140回)。

明治四十五年(1912年)七月、東京高等商船学校の練習帆船・大成丸は、東まわりでの世界一周航海に出発した。
千葉・館山を出て太平洋を横断し、米国西海岸のサンディエゴへ。
航海中に明治天皇の崩御と明治から大正への年号の変更があり、到着後には、サンディエゴで船長が失踪するなどの事件があった。
とはいえ、航海自体は順調で、サンディエゴを出てからは赤道を超えて太平洋を南下し、南米最南端のケープホーンをまわり、そのまま大西洋を横切ってアフリカ大陸の南端にあるケープタウンに入港する。
本来であれば、大西洋を北上してイギリスに向かうはずだったが、サンディエゴでの予期せぬ長逗留による日程の逼迫(ひっぱく)と予算削減のあおりを受けて、航海のハイライトとなるはずのロンドン訪問が割愛されることになった。
ケープタウンを出航した大成丸は、逆戻りする格好で南大西洋の孤島セントヘレナまで北上し、かつて流罪になっていたナポレオンの旧邸を訪れるなどした後、南米ブラジルのリオ・デ・ジャネイロへ。
リオでの滞在を終えた一行は、地球の裏側から、大西洋、インド洋を横断し、オーストラリアを経て太平洋へと、帰国のための残りの地球半周の航海に出るが、行く手には、それまでになかった試練が待ち受けていた、、、

トップスル四枚を破る


スワンリバー
(オーストラリア南西部の大都市パースを流れる川)


海岸の日没美

南大西洋の秋
一、帰帆(きはん)

練習船大成丸は五月三日、リオと訣別(わか)れた。

花のように美しい、多くの佳人(かじん)の、赤い唇で呼吸されていた、かぐわしい大気のうちに逍遙(しょうよう)しながら、花のように美しい享楽の都に遊んだ二十日間は、どこかぼんやりとしていて、まさに夢のようだ。 続きを読む